So-net無料ブログ作成
前の10件 | -

時間の薬

悲しくなるとね、お母さん~!と、心の中で叫んでいるのだけど
日々は思い出すことが、心の奥底にしまっているから少なくなっている
だけど、何か、心が動きはじめようとしているような気がする

時間薬

みんなが言う、時間の薬......って
やはり本当にある
効くような気がする

母が教えてくれたもの
母に経験させてもらったもの

今、私は、それを何かにしようとしています

nice!(0)  コメント(0) 

はじめて聞かれた死因

母が亡くなって、なんで亡くなったのかを聞かれることはなかったと言ってもいい
ただ、亡くなったという事実だけで、葬儀も納骨も相続の手続きも進んでいった
それに、少し、違和感を感じていたことは確かだ

今朝、はじめて、「何でなくなったの?」と聞かれた
私は、進行性核上性麻痺という難病だったのを言う機会をえた
だけど、急変だったのと

亡くなったという事実だけで
なんで、どのように亡くなったのか
それは、興味のないことなのか
それとも、聞いてはいけないことなのか

聞いてくれた方が
難病と戦った母のことが言えるのだが

死因を聞くのは、タブーなのかな?



nice!(0)  コメント(0) 

終末期医療

過剰な終末期医療はしないと、なんとなく決めていた
でも、医師やホームホスピスに入居する時に
あらためて、確認されると、悩んだ

特に、胃ろうはしないと決めていたが、
進行性核上性麻痺の診断が出てから
何人かの患者仲間が、胃ろうの選択をして
また、食べれるようになったという話や
胃ろうをして、寝てることが多く、しゃべれないでも
何年も家族といる患者さんを見聞きすると
我が母も、胃ろうをすれば、痩せるのを止められ
また、身体に栄養がいくから
食べれるようになるかもしれないと
迷った、胃ろうしたいかもしれないと
言葉に出していったこともある

でも
母に対して、誰も、胃ろうの選択を進めなかった
だって、柔らかい食事だったが、口からご飯を食べていた
だから

母は、私に胃ろうの選択をさせるでもなく
逝ってしまった
半日の間に、亡くなる3時間前まで
大丈夫と言い
医師に診察の御礼を言い

そんな
母だった
nice!(0)  コメント(0) 

私にとってもホームホスピス

元旦の朝に、母が暮らしたホームホスピスYから電話をいただいた
お雑煮を食べに来ない?
ちょうど教会のごミサの最中だったから出れなかったけど
ひとり暮らしでひとりでお正月を迎えているである私への心遣い
私にとっても、Yはホームなのです

寝てしまって、その日は行かなかったけど
声をかけてくれる心づかいが、うれしい
そんなところが、ホームホスピうYの人たち
nice!(0)  コメント(0) 

バリアフリー

母が車椅子を使うようになって、
それでも、少し歩けるような時間が数年あった
お正月に神社に行って、数段の階段を上がれる喜びを
数年、かみしめたことがある

喫茶店やレストラン、階段があるところと、車椅子で入れるところ
世の中には、いろいろなんだと、実感した

私は、ハッキリ言う
介護をしてた日々、楽しかった!と
そりゃ、自分の時間はなかったけれど
いろいろな事を知り、学んだ
今まで、私が過ごしてきた人生の世界と
また、違う世界との出会いだった

そこで、思うのが、公平ということ
母は車椅子を押していると
途中で替わろうという
自分だけが押してもらっているのを、悪いと思うらしい
それは、誰に対してもそうだった

そんなことを思い出したら
車椅子でも、傷がい、ハンディキャップがあっても
交代交代に、暮らしてける社会がいい
それは、母が教えてくれたこと?

どんな立場であっても
人は公平な存在であるべきだ
人を思いやり、共に生きる
そんなことを、心がけたいと思う
nice!(1)  コメント(0) 

病院でのクリスマス

私には、大事なクリスマスリースがある
もう、十数年前、父がもらったクリスマスリースだ
その時、父は、もうほとんど寝ていることが多く
たまに、意識が戻るくらいだった
12月に入って、食事もあまり食べなくなってた
看護師が、無理やり食べさせそうとした時
兄は、無理やり食べさせるなんてと強く抗議した
本人が、嫌なことを、させたくなかった

ほとんど寝てることが多くなった父
でも、ぉ見舞いに行くと、目をあけて反応してくれた
よく来てくれたよねというように

その病院は、キリスト系の病院だった
クリスマスの朝、父の病室には
小さなクリスマスリースが置かれていたという
母が大事そうに、持って帰ってきた

私は、すごく心が打たれた
このような寝たきりの老人にも
何もわからない
そして、キリストなんて信じてもない父に
クリスマスプレゼントが
サンタクロースが来てくれるということに

父がもらったクリスマスリースとして
私はそのリースをずっと大事にしている
その
心遣いが、うれしかったんだと思う

小さきものに、弱きものに
たとえ、相手がわからなくても
愛は注がれる
それが、愛なのではないか

nice!(0)  コメント(0) 

涙が出てきた

クリスマス・イブ
S病院への、クリスマスキャロリングに参加した

父が最後の時を過ごし
母が何度も入院した病院

クリスマスソングの清らなな歌詞
そして、何度も通った懐かしい病院
涙が出てきた

このあたりの病室
そして、食事をしたラウンジ
あ、この部屋に入院してたなと思い出すと
涙が出てきて、鼻水をすすりながら歌を歌う

教会の友が言う
歌を歌う親がいなくなっちゃったね
だから
みんなに歌うの

クリスマスイブが悲しい時となる

nice!(0)  コメント(0) 

進行性核上性麻痺の確定診断が出てから

クリスマスの時は元気で、もりもりと食事を食べていた
お正月も、おもち、お雑煮も食べた
しかし、2月になって、急に身体が固いのが進行した
そして、一瞬、意識を失うことが、たびたび起こるようになった

それからは、坂道だった
朝起きなくなって、水様便が出続けて、じゅくそうができて
食事もソフト食にした

それでも、6月はミサに行った
医師が、お水を飲みなさいといのに、どうして?と、母は疑問を投げかけた
お水を飲まないと、天国に行きますと言われ、
納得して、お水を飲んだ

でも、みるみる痩せていった
その間、半年

nice!(0)  コメント(0) 

寒くなって、お正月が近くなると

母がひとりで暮らすのが難しくなってから、
年末年始は、兄と私で、半分づつ
ヘルパーさんがおやすみの年末年始を
母の家に泊まり込んで過ごした

今、思うと、なつかしい

動きの悪くなった母を支え
ずっと同じ時間を過ごす
何年続いただろうか

最初は、ゆっくり歩いて、やっと一人で着替えていた母が
年を重ねることに、難しくなってきた
最初に往生したのな、やはり、兄だった
でも、兄も、必ず、母と数日を過ごしていた

そんな時の私の楽しみは
早朝、母の布団に潜り込むことが
あったかな、母の布団
子どものように

寒くなってきると
そんなことを思い出した
いくつになっても
お母さんは、あたたかかった

nice!(0)  コメント(0) 

母の姿を思い出しながら

辛くて、がんばらなくてはいけない時があった
そこで、私は
母の姿を思い出した

がんばれA と自分の名前を呼びながら
歩く練習をしていた
坂道はつかかったんんだろう
坂道になると
がんばれれA と、何度も自分に掛け声をかけながら
歩いていた

階段を登るのも、歩く練習でしていた
最後の一歩が、足があがらなくて
がんばり、がんばり、登っているビデオが残っている

あんなに
がんばって、歩く練習をしていた母

私は自分のつらい時に
母が言っていた がんばれA を言いながら
自分を鼓舞した
そう
母は、あんなに、がんばっってたんだ

それは
進行性核上性麻痺という症状から来るものだとは知らず
歩くように、私は促した
母も、うまく歩けるようになりたいと
練習に練習を重ねた

でも
歩けなくなっていった
それは
母がいくらがんばっても できない
病気の症状だとしらず
母も娘も、がんばれA を、励まし合っていた

ごめんね
お母さん

だから、私は、今、その事を思い出し
お母さんがあんなにがんばったんだから
私もがんがれると
がんばれA と、母の名前を呼びながら
人生を歩んでいる

nice!(1)  コメント(0) 
前の10件 | -